無職みたいな青年実業家

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根本的な考え方

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たとえば法律には引っかからないから儲かるよ!とか、人を蹴落として自分がのし上がるとか、そういうのは僕にはできないわけで。(したいとは思わないし

ただこれは僕の基準であって、世の中のスタンダードとはまた違うのかも知れません。

流行り廃りもありますからね。でも自分の中での線引きってのはあるわけで。そこは時代だからとかで流されるもんじゃないと思ってます。チカラがあるから強いのか、信念があるから強いのかって言えば僕は弱小でも信念がある方が強いと思っているんで。

また宗教観は持ち合わしてないんだけど、要は崇めている教祖がとんでもない奴だといくら経典が耳障りのいい言葉が羅列しててもクソなわけで。でも末端の信者って盲目に純粋に信仰してるから、その行為自体は貶されたりすることではないんだけど。でも、方向性が間違ってんじゃね?とか思ってしまいます。

ただ地元の福山でも新興宗教はたくさんあるわけで。こんな田舎にもたくさんあるんだから都会にはとんでもなくあるんだろうけど。

今から25年前の夏。

駅前で「あなたの人生を祈らせてください」と純粋そうな女の子が声をかけて来たんで「いいですよ!」と眉間に指を当てることを許し、祈ってもらって。それだけで終わってたら良かったんだけど「あなたの人生にとって大切な話があるんです」と言われて、すっごい暇だったんでの車に乗って山奥に連れて行かれたんだよね。

山の中のこれって何坪?って言えないくらいな大きな施設に連れていかれ。

僕を含めて3人の何も知らない聞き人が中ボスみたいな人の教えを聞いて。僕とそう歳の変わらない男の子は感化されてその場で3万円払って入信してたけど。当時は暇つぶしでついて行った僕だったんで(銭を払う気も毛頭なかったんで)中ボスの話を論破してみせると大ボスみたいなのが登場して。

大ボスって言ってもそこでは大ボスってだけで、人間的に大きいってわけじゃないんで。矛盾に対して言い返せなかったり言葉に詰まったり。みるみるうちにニコニコモードが阿修羅モードに切り替わったりでw

結果的に身体的に危害は加えられませんでしたが、その山奥の教団の前で解放され2号線までひたすら歩いた記憶があります。駅まで送らないのか?と当時の僕は思ってましたけどwまだオウム真理教の事件が世間で賑う前の話です。

この話はいろいろ端折ってますが、当時の飲み会の席では鉄板な話題になってましたw

それ以来、いらぬことには首は突っ込むべきじゃないな、と悟ったわけで。昨日、買い物に行く道中にその教団を偶然発見して「まだ生き残ってるんだ!」とびっくりした次第で。あの時、勧誘されてた男の子の顔さえ覚えてないけれど、もしかしたら中ボスになってるのかも知れませんね。また駅前で眉間に指をかざして祈ってたあの子も純粋に信仰してたんだろうけど。そのあとはどうなったのかな?とかちょっとだけ思い出しました。

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